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歌詞について
まず最初にお断りしておきますが、私の英語力は多分言葉を話し始めた小さい子程度です(^^;;
海外旅行や(といっても、アメリカに3回行っただけ)海外通販で欲しいものが買えて、食べたいものが食べられるくらいの適当な英語力です。
日本語力もかなり怪しいです。
というわけで、私の解釈が正しいかどうかはさっぱり自信がありません。
それを踏まえたうえで・・・海外サイトのいくつかのレビューを見ていると、どうも歌詞についてバカにしたような記述が見受けられるような気がします。
NBの歌詞については、「sucks!」とはっきりと書かれてるのをいくつか見たので、アンチNBの人達には批判の対象になっていることは間違いないと思いますが。
本当はここは自分語りの場にはしたくなかったのですが、とあることがきっかけで、どうしても歌詞については一言言いたい!と思い書くことにしました。
いや、とても一言ではないんですが(^^;;
以下、私の音楽的バックグラウンドを遡っての歌詞についての見解を考察する超長文ですので、ご興味のある方は続きをポチっと。
そんなの読んでられっかよ、という方には結論だけ先に。
歌詞がクソかどうかは受取側次第ってことです。
歌のバックグラウンドを知っているかどうか、共感できるかどうか。
できたら宝物のような素晴らしい歌詞にもなりうるし、できなきゃクソってことで。
クソだらけですみません(汗 私が洋楽デビューする前は、いわゆるフォークソングやニューミュージックと呼ばれる音楽にはまっていました。
さだまさし、チューリップ、オフコース、甲斐バンド等々。
彼らの歌詞は歌詞ではなくて「詩」と言われることもあって、詩集なんてのも出るくらい、歌詞の美しさがクローズアップされていたように記憶しています。
そんな私が、さだまさしの好きなミュージシャンである、ロッド・スチュワートやKISSに興味を持って洋楽に傾倒していくようになったわけですが、もちろん当時は英詞の意味なんて今以上にさっぱりわかるはずもありませんでした。
中学生になって少しずつ知っている英単語が増えてきて、断片的にでも英詞を見るようになって、「なんだこの適当な詞は」と驚きました。
何を見てそう思ったのかは忘れてしまったのですが、当時はまっていた音楽と言えばUKパンクやグラムロックとウェストコーストサウンドをメインに、英国留学していたお兄さんを持つ友人にあれこれ聞かされた英国土産のレコードの数々。
中には中学生の私達にも見ただけでなんとなくわかるような簡単なフレーズを繰り返すだけの歌詞も結構あって、ロックの歌詞ってこんなんでいいのか~、と友人と驚いていました。
ロックはリズムが大切で、音に合う言葉を適当に乗せただけじゃないかと勝手に理解したので、以降ロックの歌詞についてはさほど気にもとめなくなりました。
歌詞よりもフィーリングよね、と。
その反面、当時「はみだしっ子」という漫画が流行していて、私のバイブル的存在だったのですが、その中には実に色々な洋楽の歌詞が引用されていたのです。
本当に難解な漫画だったのですが、それらの歌詞が漫画を理解する手助けになりました。
作品中に出てきた楽曲をかたっぱしから聞きました。
「グリーングラス」という歌は死刑囚が執行前夜に故郷を夢に見た歌だということもその漫画で知りました。
単なるラブソングだと思っていた「You are my sunshine」が未練たらしい失恋の歌だとも書いてあって、その曲は漫画のとても重要な場面で使われていたので、それ以降単なるラブソングではなく、大切に思っていた人、友人も含めての大切な人から裏切られてそれでもsunshineと言ってしまう心情を歌った切ない歌として私の中に存在しています。
つまり、単純な歌詞であっても背景を知ればその言葉の奥に込められた深い意味を理解できて、より共感や感動が深まっていくことがあるのではないかということです。
それに気付かせてくれたという意味でも、「はみだしっ子」は私の音楽のルーツであるといえるかもしれません。
私の小学生時代の大切な思い出の曲、C.C.R.の「コットン・フィールズ」は、歌詞を見てあまりのシンプルさに教科書に載ってる歌みたいだと思った記憶があります。
シンプルだからこそ名曲なのかと思っていたのですが、後にこの曲がC.C.Rのオリジナルではなく黒人農夫のトラディショナル・ソングだと知りました。
昔の黒人農夫といえば色々虐げられていたんじゃないかとか考えると、この曲がまた別の物に思えてきます。
もう一つC.C.Rの「雨を見たかい」。
これは有名な話なのでご存知の方も多いと思うのですが、「雨」というのはアメリカがベトナムで雨のように降らせたナパーム弾のことだそうです。
それを知らずにずっと聴いていて、晴れた日に降る雨を見たかどうか知りたいだなんて、狐の嫁入りのことか?と思っていた私。
そんな歌が時代を超えた名曲だなんて凄いなーとずっと思っていました(^^;;
反戦歌は特に、ダイレクトに反戦を歌うと放送禁止にされたりするので遠まわしな表現で歌われていることも多々あるでしょうから、おそらく他にも知らずに変な歌詞だと思って聴き続けている曲もまだまだあるかもしれません。
今はネットで簡単に調べられるので、興味のある方は調べてみられると色々な発見があっていいかと思います。
以上は、背景を知ってるのと知らないのでは全然違うという例でしたが、ではNickelbackはどうなのか。
この前にも尾崎豊を引き合いにだしましたが、実は私、ファンの方には申し訳ないのですが、尾崎の詞は小学生の作文みたいだとずっと思ってるわけです。
(以下、呼び捨てにて失礼)
よく知りもしないでと思われたらすみません。
一応、時々口ずさむくらいに好きなメロディもいくつかあって、初期の頃の曲はほとんど聞いた上での感想なので。
歌詞から同じような印象を受けるチャドの詞には共感できて、何故尾崎にはできないのか。
それは単純なことです。
尾崎の歌で歌われている内容を経験したことが無いからです。
彼の苛立ちや怒りはわかるけれど、それは自分の経験としてではなかったのです。
彼の苦しみをうわべで理解することは出来たけど、それは本当の共感ではありませんでした。
チャドの詞は英語なので、全てを理解できない。
出来ないが故に、自分の想像が働く。
自分の経験に歌詞の都合のいい部分を合わせてしまうから、厳密には違うことのようであっても感情の方向が同じであれば共感できてしまう。
日本語の歌詞は言葉の意味がわかるので、自分の経験とばっちり合っていないとなかなか深くは共感できない。
実は、尾崎の歌は逆の意味でばっちり自分の経験と合うフレーズがあって、余計に私を尾崎から遠ざけました。
こんな部分ばっかりあちこちで引き合いに出されて可哀相なんですが、私の中学時代はどこの学校も凄く荒れていて、「窓ガラス壊してまわった」人たちのおかげで本当に寒い学校生活を強いられていたのです。
壊して回った人たちは校則おかまいなしだったので、いくらでも暖かい格好で学校に来れたけど、そうじゃない人達はくるぶしまでの白いソックスに素足でスカート。
毎日が寒さとの戦いだったわけです。
今の冷え性はあの時のせいじゃないかと。
先生達も彼らが怖くて注意できないどころかご機嫌取りまでしちゃって、逆にそのことで先生に文句を言うまじめな生徒達に辛くあたるというわけのわからない中学時代でした。
いじめも横行していて、いじめられっ子をかばえば逆に先生から睨まれたり。
まじめがそんなに悪いのかと。
尾崎の歌を聞くと今でも当時の寒さと共にイヤな思い出ばかりの中学時代がフラッシュバックします。
もしかして、これも立派な共感なのか?
そんなわけで、未だに絶大なる支持を集め多くの人の共感を得ている尾崎の詞も私にとっては小学生の作文であって、チャドの詞は私に色んな感情を思い起こさせてくれるステキな詞ということになるのです。
これは理屈ではないですよね。
だから、Nickelbackの詞がクソだと思う人は、それはそれで正しいのだと思います。
みんながクソだという詞に感動している自分ももしかしてクソなんじゃないかとちょっと悩んだりする必要も無いし。
(実はちょっとだけ自分の解釈が間違ってるのかもと考えたことが・・・)
みんなが素晴らしいと言っている音楽が理解できなくても、それも問題ナシ。
そこで、最初に書いた結論に至るわけです。
聴く人の心の琴線に触れるか触れないか。
それだけ。
だからチャドの詞をバカにする人は私とは感じ方が違うんだと思うことにしています。
プリプリなんかしないよ!
できれば、ただ「くだらない」「サイアク」とだけ言ってる人達にはどの辺がそう思うのか教えてくれれば、また一つ私の勉強になるのになーと思います。
ついでにその人たちが素晴らしいと思っている歌詞も教えて貰えればもっと嬉しい。
色んな人の意見を聞いて、さらに自分の好きな音楽への新しい見方が出来るようになればそこからまた新しい世界が広がるかもしれないので。
長々と読んでくださった方、本当にありがとうございますm(__)m
随分見直したんですが、矛盾してる所とかあったら遠慮なくご指摘いただければ幸いです。
海外旅行や(といっても、アメリカに3回行っただけ)海外通販で欲しいものが買えて、食べたいものが食べられるくらいの適当な英語力です。
日本語力もかなり怪しいです。
というわけで、私の解釈が正しいかどうかはさっぱり自信がありません。
それを踏まえたうえで・・・海外サイトのいくつかのレビューを見ていると、どうも歌詞についてバカにしたような記述が見受けられるような気がします。
NBの歌詞については、「sucks!」とはっきりと書かれてるのをいくつか見たので、アンチNBの人達には批判の対象になっていることは間違いないと思いますが。
本当はここは自分語りの場にはしたくなかったのですが、とあることがきっかけで、どうしても歌詞については一言言いたい!と思い書くことにしました。
いや、とても一言ではないんですが(^^;;
以下、私の音楽的バックグラウンドを遡っての歌詞についての見解を考察する超長文ですので、ご興味のある方は続きをポチっと。
そんなの読んでられっかよ、という方には結論だけ先に。
歌詞がクソかどうかは受取側次第ってことです。
歌のバックグラウンドを知っているかどうか、共感できるかどうか。
できたら宝物のような素晴らしい歌詞にもなりうるし、できなきゃクソってことで。
クソだらけですみません(汗 私が洋楽デビューする前は、いわゆるフォークソングやニューミュージックと呼ばれる音楽にはまっていました。
さだまさし、チューリップ、オフコース、甲斐バンド等々。
彼らの歌詞は歌詞ではなくて「詩」と言われることもあって、詩集なんてのも出るくらい、歌詞の美しさがクローズアップされていたように記憶しています。
そんな私が、さだまさしの好きなミュージシャンである、ロッド・スチュワートやKISSに興味を持って洋楽に傾倒していくようになったわけですが、もちろん当時は英詞の意味なんて今以上にさっぱりわかるはずもありませんでした。
中学生になって少しずつ知っている英単語が増えてきて、断片的にでも英詞を見るようになって、「なんだこの適当な詞は」と驚きました。
何を見てそう思ったのかは忘れてしまったのですが、当時はまっていた音楽と言えばUKパンクやグラムロックとウェストコーストサウンドをメインに、英国留学していたお兄さんを持つ友人にあれこれ聞かされた英国土産のレコードの数々。
中には中学生の私達にも見ただけでなんとなくわかるような簡単なフレーズを繰り返すだけの歌詞も結構あって、ロックの歌詞ってこんなんでいいのか~、と友人と驚いていました。
ロックはリズムが大切で、音に合う言葉を適当に乗せただけじゃないかと勝手に理解したので、以降ロックの歌詞についてはさほど気にもとめなくなりました。
歌詞よりもフィーリングよね、と。
その反面、当時「はみだしっ子」という漫画が流行していて、私のバイブル的存在だったのですが、その中には実に色々な洋楽の歌詞が引用されていたのです。
本当に難解な漫画だったのですが、それらの歌詞が漫画を理解する手助けになりました。
作品中に出てきた楽曲をかたっぱしから聞きました。
「グリーングラス」という歌は死刑囚が執行前夜に故郷を夢に見た歌だということもその漫画で知りました。
単なるラブソングだと思っていた「You are my sunshine」が未練たらしい失恋の歌だとも書いてあって、その曲は漫画のとても重要な場面で使われていたので、それ以降単なるラブソングではなく、大切に思っていた人、友人も含めての大切な人から裏切られてそれでもsunshineと言ってしまう心情を歌った切ない歌として私の中に存在しています。
つまり、単純な歌詞であっても背景を知ればその言葉の奥に込められた深い意味を理解できて、より共感や感動が深まっていくことがあるのではないかということです。
それに気付かせてくれたという意味でも、「はみだしっ子」は私の音楽のルーツであるといえるかもしれません。
私の小学生時代の大切な思い出の曲、C.C.R.の「コットン・フィールズ」は、歌詞を見てあまりのシンプルさに教科書に載ってる歌みたいだと思った記憶があります。
シンプルだからこそ名曲なのかと思っていたのですが、後にこの曲がC.C.Rのオリジナルではなく黒人農夫のトラディショナル・ソングだと知りました。
昔の黒人農夫といえば色々虐げられていたんじゃないかとか考えると、この曲がまた別の物に思えてきます。
もう一つC.C.Rの「雨を見たかい」。
これは有名な話なのでご存知の方も多いと思うのですが、「雨」というのはアメリカがベトナムで雨のように降らせたナパーム弾のことだそうです。
それを知らずにずっと聴いていて、晴れた日に降る雨を見たかどうか知りたいだなんて、狐の嫁入りのことか?と思っていた私。
そんな歌が時代を超えた名曲だなんて凄いなーとずっと思っていました(^^;;
反戦歌は特に、ダイレクトに反戦を歌うと放送禁止にされたりするので遠まわしな表現で歌われていることも多々あるでしょうから、おそらく他にも知らずに変な歌詞だと思って聴き続けている曲もまだまだあるかもしれません。
今はネットで簡単に調べられるので、興味のある方は調べてみられると色々な発見があっていいかと思います。
以上は、背景を知ってるのと知らないのでは全然違うという例でしたが、ではNickelbackはどうなのか。
この前にも尾崎豊を引き合いにだしましたが、実は私、ファンの方には申し訳ないのですが、尾崎の詞は小学生の作文みたいだとずっと思ってるわけです。
(以下、呼び捨てにて失礼)
よく知りもしないでと思われたらすみません。
一応、時々口ずさむくらいに好きなメロディもいくつかあって、初期の頃の曲はほとんど聞いた上での感想なので。
歌詞から同じような印象を受けるチャドの詞には共感できて、何故尾崎にはできないのか。
それは単純なことです。
尾崎の歌で歌われている内容を経験したことが無いからです。
彼の苛立ちや怒りはわかるけれど、それは自分の経験としてではなかったのです。
彼の苦しみをうわべで理解することは出来たけど、それは本当の共感ではありませんでした。
チャドの詞は英語なので、全てを理解できない。
出来ないが故に、自分の想像が働く。
自分の経験に歌詞の都合のいい部分を合わせてしまうから、厳密には違うことのようであっても感情の方向が同じであれば共感できてしまう。
日本語の歌詞は言葉の意味がわかるので、自分の経験とばっちり合っていないとなかなか深くは共感できない。
実は、尾崎の歌は逆の意味でばっちり自分の経験と合うフレーズがあって、余計に私を尾崎から遠ざけました。
こんな部分ばっかりあちこちで引き合いに出されて可哀相なんですが、私の中学時代はどこの学校も凄く荒れていて、「窓ガラス壊してまわった」人たちのおかげで本当に寒い学校生活を強いられていたのです。
壊して回った人たちは校則おかまいなしだったので、いくらでも暖かい格好で学校に来れたけど、そうじゃない人達はくるぶしまでの白いソックスに素足でスカート。
毎日が寒さとの戦いだったわけです。
今の冷え性はあの時のせいじゃないかと。
先生達も彼らが怖くて注意できないどころかご機嫌取りまでしちゃって、逆にそのことで先生に文句を言うまじめな生徒達に辛くあたるというわけのわからない中学時代でした。
いじめも横行していて、いじめられっ子をかばえば逆に先生から睨まれたり。
まじめがそんなに悪いのかと。
尾崎の歌を聞くと今でも当時の寒さと共にイヤな思い出ばかりの中学時代がフラッシュバックします。
もしかして、これも立派な共感なのか?
そんなわけで、未だに絶大なる支持を集め多くの人の共感を得ている尾崎の詞も私にとっては小学生の作文であって、チャドの詞は私に色んな感情を思い起こさせてくれるステキな詞ということになるのです。
これは理屈ではないですよね。
だから、Nickelbackの詞がクソだと思う人は、それはそれで正しいのだと思います。
みんながクソだという詞に感動している自分ももしかしてクソなんじゃないかとちょっと悩んだりする必要も無いし。
(実はちょっとだけ自分の解釈が間違ってるのかもと考えたことが・・・)
みんなが素晴らしいと言っている音楽が理解できなくても、それも問題ナシ。
そこで、最初に書いた結論に至るわけです。
聴く人の心の琴線に触れるか触れないか。
それだけ。
だからチャドの詞をバカにする人は私とは感じ方が違うんだと思うことにしています。
プリプリなんかしないよ!
できれば、ただ「くだらない」「サイアク」とだけ言ってる人達にはどの辺がそう思うのか教えてくれれば、また一つ私の勉強になるのになーと思います。
ついでにその人たちが素晴らしいと思っている歌詞も教えて貰えればもっと嬉しい。
色んな人の意見を聞いて、さらに自分の好きな音楽への新しい見方が出来るようになればそこからまた新しい世界が広がるかもしれないので。
長々と読んでくださった方、本当にありがとうございますm(__)m
随分見直したんですが、矛盾してる所とかあったら遠慮なくご指摘いただければ幸いです。
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